河村市長、名古屋城天守木造復元時期の2022年完成をやっとこさ断念。

2019年8月29日

 ほんと、やっとこさである。2022年完成には無理があるにもかかわらず「市民に対する公約だで」と完成時期に固執してきた河村市長。

 そもそもの大問題は「石垣」だ。石垣のプロの意見に耳をかさずして天守復元は不可能である。

 やっと理解したのか河村市長は「石垣重視」に舵をきった。会見では「名古屋が石垣研究のナンバーワンだという気持ちで取り組みたい」と繰り返し述べやーした。

 関係する名古屋市幹部は「180度の方針転換だ」と安堵の表情を浮かべたという。

 新たな工期は石垣部会との合意後に設定する考えを示したそうだ。

 復元計画の停滞の原因は河村市長にあったと思うが、これで出発進行だ。

 

 木造復元は反対、それは時期的な問題だけである。耐震問題というが「耐震補強」すればまだ何十年かもつらしい。現在の名古屋城は立派な「文化財」である。空襲で焼失した

城を「市民の熱望と募金で復元した名古屋城」昭和34年・1959年竣工だから当年60歳。

耐震補強して「百歳の天寿を全う」するのも筋ではないか

河村市長、文化庁に訪れ「天守解体早期許可」を懇願。これ「やぶへび」なり。

 

<やぶへび(藪蛇)とは> 

・余計なことをして、かえって悪い結果を招くこと。

 

 河村たかし名古屋市長は2019年7月30日、文化庁を訪問し「現天守の解体許可を早期に

出してもらうように改めて要望した。

 文化庁側は審議中として具体的今後のスケジュールなどは示さず「できる限り速やかに

結論は出すが学術的、専門的に判断をしているところ」と回答。

 

 河村市長は「申請してから3か月になる。早く判断し、許可をいただきたいとお願いした。早くやってもらわないと市民が不安になる」と話した。

 

 文化庁側の「学術的、専門的に判断しているところ」という回答だが、「そりゃそうでしょう」と思う名古屋市民おやじである。

戦争の空襲で焼け失った名古屋城を市民の浄財で再建を果たしたが、当時は歴史的遺産である石垣が無事で、その上に再建した名古屋城。その現天守の解体作業で「石垣」がどのように影響するのかが焦点だ。解体により「礎」(石垣)が損なわれることがあればどうなる。事が事であります。そうは簡単に「解体許可」を出せるものではありません。

 「それでこそ文化庁」であります。

 河村市長の「急(せ)かす行動」はまさしく「藪蛇」でありましょう。

 

 ましてや河村市長は2月1日にも文化庁を訪問している。

 

 要件は、名古屋城天守の復元許可に先立って現天守の解体を許可の打診する為である。

河村市長は「天守の耐震性が低く、危険だから」と早期の解体の必要性を強調した。

 

 文化庁訪問後のマスコミの質問で

ー 「解体の目的は」を聞かれ、河村市長の答えは

 

  

一番はあぶないから。今石垣の調査をやっている人も危ない。

  天守は高さ54メートル、重さは13千トンもある。震度6強で倒壊する

  可能性がある。死傷者が出たら刑事罰を受けるかもしれない。

 

 

 そして今回7月末の文化庁再訪問。

 河村市長は「現天守解体許可を早期に出してもらえないと市民が不安になる」とおっしゃるが、市民よりも人一倍不安なのが河村市長ではないだろうか。

 

 市民の不安は「河村市長の才覚と奇策への不信」ではなかろうか。

名古屋城復元へのプロセス市民が不安になる?

 

 ー名古屋市の名古屋城天守の木造復元が決定。

 ーそれには文化庁の許可が必要。

 ー木造復元許可が目論み以上に遅れ、河村構想である完成時期が危ぶまれる。

 -木造復元に必要な木材を必要量の四分の一を先行取得。

 ーここで前代未聞の「奇策」、文化庁からの木造復元許可ありきで

  「天守解体許可申請」を提出。

 -常識的には「復元許可から解体許可」であるが解体申請という奇策。

 

 河村市長は、どうしても名古屋城天守木造復元の完成を2022年末を掲げたが、

 文化庁の許可の関係で延期が濃厚となった。だがそこは河村市長、無理してでも

 (悪い表現となるが、関係者や施工業者や二次、三次下請けにむちを打ってでも)

 工期短縮で公約でもある2022年末、またはより近くの完成だと号令を出す事だろう。

 

名古屋城を名古屋のシンボルとして、1000年保つ立派なものをつくるという河村市長。

1年や2年やそこら遅れてもかまわない。公約?そんなものどうでもよい。

公約の為なら「工期短縮」、とんでもない。  2019年7月31日

 

名古屋城現天守の解体は一日の作業時間が19時間とは無茶苦茶である。

<無茶苦茶とは> 

・道理に合わないこと。

・程度がはなはなだしいこと。

・知識(常識)が無いこと。

・乱暴な様子を表す「無茶」と強める言葉。

 

名古屋城天守の木造復元事業で「木造天守完成」の目標は2022年12月とされる。

だが2019年3月時点で「復元と解体」の許可が文化庁から降りていない。

市は、工期の関係で復元許可はさておいて「解体許可」の先行取得を目指している。

 

名古屋市が想定する今後のスケジュールは

 

2019年5月  文化庁が解体許可

2019年6月  解体工事費を予算化

2019年7月  解体準備工事の開始

2019年11月  エレベーター解体を開始

2020年3月 天守解体を開始

2022年12月  木造天守が完成

 

解体を含めた復元事業の作業期間は31カ月の想定であったが、許可の遅れから

解体開始が7カ月遅れるため24カ月で仕上げないと2022年末完成に間に合わない。

 

名古屋城天守の木造復元完成を、是が非でも2022年末とするならば

天守の完成度にも、作業にあたる人の労働条件にも悪影響を及ぼすのではないか。

 

・現天守解体~復元完成作業期間(7カ月の短縮)

 31カ月計画⇒24カ月に短縮

 

・作業員の作業時間(1日あたり4時間の増加)

 15時間/日⇒19時間/日

 

・作業員の人数(1日あたり40人の増員)

 日中100人/夜間30人⇒日中140人/夜間30人

 

   新聞記事にはないが、解体から完成までの24カ月・2年の間は土日祝日も休日なしの

工事になると予想される。

   1日19時間の作業ということは夜中にも作業するということ。これ如何に。

 労働者不足の日本、建設業も相当不足ぎみといわれる。

 大丈夫ですか労働環境と条件。

 

名古屋城天守復元で労働者の犠牲者を出してはならない。

元請は一次下請け、二次、三次・・・下請けに気を配れ。

天守完成時期を遅らせよ。名古屋を攻めてくる敵はいないのだ。

 

名古屋市民オヤジの走り書き 2019年3月13日

 

「名古屋城の木造天守に和釘使用を」と

自民党の国会議員らが名古屋市役所を訪れ

河村市長に要望したという。

もしこれだけの要件なら電話でイイ。

 

名古屋市役所を訪れた先生方は

「刀剣・和鉄文化を保存振興する議員連盟」に

所属するうちの5人。

 

新聞写真には逢沢一郎議員が河村市長に「要望書」を手渡している場面が映っている。その並びに

山田宏議員と3議員。

 

 

え~今更~。最初から「和釘」を使うと決まっていなかったのですか~

本物を再現するんでしょ。いちいち国会議員に要望されるなんて。

 

なんやら、国内産の木材が足りない場合は、外材を一部使用するかもという

話しもあるし。そりゃだめだて。酔狂で造るものではありません。

 

予算オーバーでも誤魔化し名古屋城木造再現はなりませぬ。

 

一流料亭の和食で「いかなる素材も国産」でなければなりません。

 

河村さんもいかんわね。限りなく本物といい「エレベーターは設置しない」と頑なに言いながらのこれではね。

 

まぁそんなこと。

 

 

 

名古屋には「名古屋城ナンバー」が良く似合う。

この名古屋城ナンバーの「75-84」はオヤジのものだぜ!

 

おそらく、この名古屋城ナンバーは「名古屋城木造復元完成」の年度に登場(オヤジの目論み)であろう。

 

オヤジと奥様の愛車は「ダイハツムーブ・カスタム」平成26年12月に購入。新古車で価格は約130万円で60回払いの全額ローン。

月払い21,800円で平成31年1月が最終支払である。あっ違う平成32年1月だ。

 

ローンが終わったら名古屋城ナンバーに合わせて乗り換えようかな。

「いつかはクラウン」にするか、レクサスか。

 

さあ明日から「ワンコイン貯金」毎日500円玉を貯金箱に入れて行こう。楽しみだ。

 

500円×365日=182,500円

ふむー、1年でこんなけ~すると10年で....

まあいいか100歳まで生きれば「クラウン」買えるわね。

 

 

名古屋城裏手(北側)に回れば石垣が壊れたまま放置されていた。

2018年10月19日

オヤジは2016年6月から2017年3月末まで、アルバイトの関係で週5回ほど名古屋城の北側と東側を自転車で通って四季を満喫していた。

 

名古屋城北側(名城公園側)から見る西から東までの石垣は壮観である。その一部が崩壊で修理中か解らぬ状況で、一向に修復が進んでいるようには見えない。

 

いつになったら修復が終わるのかと思いつつ、名城付近でのアルバイトも終業。

 

この現場が表側だったら結構速く工事が進むのであろうが、裏側で観光客もこないから「ゆっくりなのかなー」と思っていた。

 

 

2018年10月19日、名古屋城城郭の北側の石垣が崩れたままの訳が判明した。

 

その地点は「本丸搦手馬出」(からめて うまだし)のお堀側東角の石垣。2006年に崩落の危険が迫っているとの判断で、壊れる前に直すとして修復に着手。「あーだ、こーだ」が12年。なんと12年ですな。

 

そして今動き出す修復。本年中に策定し、来年度中に作業着手と決定。

 

この地点で積み直す石垣の数は4000個。ここだけで4000個だが、ぐるりで何十万個だから、だから。

 

 

名古屋城観光は「正門」「東門」から入って帰るはもったいない。

 

名古屋城観光は、城内を観るだけではなく、お堀に沿ってぐるり一周すれば「来た甲斐が3倍」になることでしょう。

 

加藤清正公にお会いすれば「知恵と勇気」を与えられる。そしてその先の「能楽堂」をのぞいてみては。能楽堂の演舞場に入り客席にゆったり座ること1分、その光景は一生忘れるものではないでしょう。入場料無料。

 

お堀の鯉を楽しみ、かもめを見て平和を祈る。春は桜に続き藤の花、秋の紅葉時と名古屋城はひと際美しい。

 

ぐるり回っても30分程度。人生のうちの価値ある30分であります。

 

ここに写真はないが、南側・ホテルナゴヤキャッスル方面から眺めた名古屋城は最高に美しいのである。


◆KYB免震不正と名古屋城木造復元には相違点がある。

 

KYB

Our Precision, Your Advantage

 

<KYB-ウィキぺディア>で検索すると、まず目に飛び込んでくるのがこれだ。

国語もイマイチ、英語はからっきし。調べてみたらこんなんでしょうか。

「KYB 我々は高精度、あなたに役立つ、ためになる」

 

KYB社が不正な免震・制振装置を生産販売していたのが発覚。

日本に激震が走った。走りっぱなしの産業界の不正。産業界の激震もさることながら

「大震災」が不安である。不正は人災。地震は天災で避けては通れぬ日本である。

 

KYB社は不正の理由に「納期に追われていた」などと説明している。

製造された免震用のオイルダンパーが、性能検査で国が定めた基準からずれた場合は「再検査」に5時間程度の所要時間かかかる手間を省き、数値を改ざんし出荷した。

 

納期を守るのが目的? 5時間の納期ズレですか。信じられない言い訳ですな。

 

検査員が一人だけ。5時間の手間を省くとは「せこい利益の為」ではと勘繰る。

売上高4000億円あまり、経常利益200億円ほどある優良企業は不良してしまいました。

 

KYB社の不正は重大です。一企業の信用を無くすだけの話ではありません。

一万数千人の従業員とその家族が子ども達が可哀そうだ。それだけではありません「メードインジャパン」を傷つけ、1億数千万の国民にも関わる事なのです。

 

少々話がずれた。KYBと名古屋城のこと。

 

「中日新聞・社説」にこんな一文がある。

「問題の根源は製品の安全より目先の利益を追い求める経営陣」

 

石垣の安全=お城の安全、基礎である石垣に不安を抱えてお城を建てる。建ててから石垣を安全なものにする。逆ですよね。

そもそも河村市長は今の名古屋城は耐震性で危険と言っている。名古屋城は建物だけが名古屋城ではなく、石垣との一体で名古屋城だ。上だけ危険で下を観ず。

 

建物だけ耐震性がよくても、土台、石垣が壊れれれば建物もこけます。石橋を叩いて渡りましょうよ。

「千年続く宝にしよう」じゃないのですか。

 

その昔名古屋城に係った「加藤清正公」が今の「石垣部会」です。石垣部会の意見を尊重しましょうよ。

 

河村市長は何故2022年完成にこだわるのでしょう。なにか名古屋市民がそれを望んでいるようなことを言ったと記憶するが早いにこしたことはないが、2022年にこだわる市民はほとんどいないはず。それは「経済、利益」を考えたことじゃないでしょうか。

 

そこいらのスーパーの開店じゃあるまいし。なにがなんでも、いちいつまでに完成させろなんて。

 

名古屋城木造復元は「不安なき、安心安全」を第一にすすめるべき。

 

 

◆名古屋城天守の木造復元計画 2022年完成危うし!

名古屋市は国の特別史跡で、建物の解体や建築は文化庁の許可を必要とする。

名古屋城の木造復元計画に先立ち、文化庁は計画提出を前に、石垣の調査が不十分とする市の有識者会議「石垣部会」の理解を得るよう名古屋市に求めた。

 

名古屋城天守復元スケジュールの想定

 

2018年10~11月 文化庁の許可

2019年9月 現天守の解体開始 

2020年6月 木造新天守の着工

2022年12月 木造新天守の完成 

 

まず今秋の文化庁の許可が出ず、次の機会である文化審議会は来年5月。

したがって、2022年の完成には無理があろう。

 

石垣補修を先んずるべき見解の石垣部会は「石垣の補修だけで2~3年かかる可能性がある」と語る。

 

対し河村市長は「22年完成を死守せないかん」と力説する。

 

なんとはや「だだっこ市長」ではありませんか。

<買うまでは だだこきまくる こどもかな>

<オペに耐えうる体力がなく、体力改善が先決。回復次第オペを行いましょうという医師

 に対し、それでは自分のスケジュールに狂いがでるから一か八かでもいいからオペを

 やってくれという患者さん>

 

石垣部会外部委員を勝手に名乗る「無識者オヤジ」の意見

 

1.石垣部会の見解が正しい。石垣補修が先決。

 

2.名古屋城大天守の石垣は400年あまり、一時期を除き大天守の基盤として支えてき

  た。今回の木造復元を前に旧天守の解体がはじまる。その間日ごとに石垣は重荷が減  

  少し、挙句は長年の重荷がゼロとなり、石垣の箍が緩むのではないだろうか。(素人

  オヤジの奇想天外な想像)

 

  石垣の箍が緩んだ、また400年あまりの老朽で進んでいることは間違いない。その石

  垣の上に「木造復元」である。木造は空襲により再建した「鉄骨鉄筋コンクリート構

  造」の外観復元された。この当時に大天守を木造とするか否かの議論があったようで

  ある。

  結果、石垣自体に建物の重量をかけないという点と、防火の配慮により木造という案

  は却下された。(木造の方が重いとは思わなかったオヤジである)

 

3.いつ起こるかしれぬ地震、基礎となる石垣に不安が残るままに着工するとは信じられ

  ない事だ。子々孫々までを望む「大名古屋城木造復元」

  現名古屋城解体後に基礎である石垣補修が何年かかろうとも「完璧」に。

  

河村殿、我輩は加藤清正である。

 

名古屋城木造復元でござるか。思い起こせば我輩が遠い1610年、名古屋城大天守の石垣、礎石を行ったわけじゃが、あれから400有余年。よくぞここまで守ったものじゃ。

そこでじゃ河村殿、このほどの木造復元にむけ、あと600年いや「不朽」の石垣に補修を行ってもらいたいと存ずる次第じゃ。

 

昭和54年から我輩の像を鎮座させていておることを有り難き存ずる。大名古屋城を背にはしてはおるが、背中に感ずるは「石垣の老朽じゃて」

 

河村殿「急がばまわれ」じゃて。どうも政治家というの「経済、経済」や、事を急ぎすぎると我輩は見るのじゃ。

 

2018年10月19日

 

名古屋城を背に勇壮と鎮座する「加藤清正公」の銅像☟☟☟

◆豪華絢爛 「本丸御殿」が復元された。徳川家康の命で家康の九男、尾張藩主・義直が居住する為に建てられたとさ。

 

1945年(昭和20)米軍の空襲で焼失した名古屋城の本丸御殿を9年間、総工費130億円で復元し2018年6月4日に一般公開された。

 

すごいよね。徳川家康はどえりゃ~金持ちだったんだね。なにかうまい商売でもやっていたお方なんでしょうかね。九男坊にこんな立派なお屋敷を建ててやれるのですから。

 

◆豪華絢爛 将軍の間「上洛殿」

 

同じく名古屋城内には将軍の間・上洛殿がある。江戸幕府の将軍が宿泊するために建てられたものという。

 

将軍専用宿泊所。江戸から名古屋にお越しの時のためだけにですか。贅沢三昧、名古屋にお越しの切は「本丸御殿」に泊ればいいのに。

 

なんでそんな贅沢できたの?

 

こんなことを言うオヤジは打ち首か。

 

-------と、ところで本丸御殿を模造してもよろしいでしょうか。

名古屋のどこぞに千坪ほどの土地を手に入れて「本丸御殿」を建て旅館にするのだ。

一日一組限定、一泊一億円。年間売上365億円だから1年で元が取れますな。

 

その時は名古屋銀行さんよろしく。

 

 名城公園の猫達

・・・・・・・・・

ふっ、びっくり!こんなところに猫と思いきや「手袋」でありました。



2017/1/22 名古屋城のお堀の石垣修復工事が始まったようである。

 

前々からあそこはどうなってるの?どうみても石垣が壊れて、そのまま状態のようだった。いずれ適切な時期を待って修復だろうとみていた。

 

やっと始動したようで、どんな見栄えになるかが楽しみだ。


2017/1/22

名城公園内に新築のこの建物、鉄骨構造ですか。木造にして欲しかったね。

 

この建物にはどうもコンビニ、レストラン、物販が入るみたい。

 

完成予想図をみると、外観は木造風ではありますが、柱から全部木造、しかも木材はすべて「三河木材」。これぞ自然との調和だ!


名古屋の玄関口、名古屋駅の「名古屋観光案内所」は休みだった。観光にお休みがあるのだろうか。

 

2016/12/30

本日私は名古屋駅周辺にいた。おばさん三人に声を掛けられた。「名古屋をぐるぐるするバスはどこ?」「そこに有りますけど今日は休みですよ、どこに行かれます?」「ノリタケ行って、そこでお食事してから名古屋城に」「わるいねー、どちらもお休みですよ」「え~、そしたら名古屋でのお勧めはどこ?」「そうですねー、熱田神宮とか....、よろしかったら観光案内所に案内しましょう」

 

あれ~名古屋駅構内にある観光案内所は休みだった。「ごめんなさいね」とあやまる私(なんで私があやまるの)

 

三人のおばさんは「高島屋で買い物して帰りましょう」と言っている。そうなんです、高島屋も観光地なんです?

 

名古屋です ナゴヤです なごやです。みどころ少なければせめて「おもてなし」かな。

名古屋城殿 城段はよして!これって城識?

 

2016/12/30

名古屋城の東門を通りがかると閉門されていて、残念がる参観客が格子から覗いている。おばあさんが私に声をかけた。「えらい早う閉めるんだね、名古屋の城は」「いいえ、昨日と今日はお休みのようですよ。残念ですね、どちらからこられたんですか」「大阪から日帰りで来て、先に熱田神宮に行ってここに来た」「それは残念なことです」。

 

遠来の方、外国人観光客の方々に限らず、皆々様にお詫びも申し上げます。わたしが謝ってもしがないか。

 

正門に回ってみる。閉門である。人々が首をかしげている。車椅子の老人と付き添う娘さんらしき人「もう閉っちゃったんだね、お父さんまた来ようね」と言っている。時間は15時ごろ。

 

若い青年の三人は閉門の前で写真を撮りやいをしている。「すいません、おじさん撮ってもらえますか」パチ、パチ、パチリ。「ありがとうございます」

 

私は青年に話しかけた「今日は残念だったけれど、この重厚な正門が閉っている状況に遭遇したことは、ある意味ラッキーなことだったかもしれない。めったにあることではないからね」続けて「開門、開門と叫んでみたら開くかもね」と冗談も加えた。

 

正門あたりには「本日休城」の文字が見当たらない。(私の目の悪さかもしれない)

明日31日から正月の予定のポスターは貼られている。

 

名古屋のシンボル、名古屋一番の観光地である名古屋城。休みといえども正門には番人(職員)はいない。


集合!鳥達よ、よく聞いてくれ「インフルエンザに気をつけやーせ」

(2016/12/26・名古屋城のお堀にて)


名古屋城のお堀の石垣の木々も散髪するんだね。

石垣沿いにボートが見える。あのアリゲエーターガーの関係者かな?違いました。石垣から生えた木々を散髪する職人さんでありました。(2016/12/

石垣に生えた木々は美しい。なんで剪定するのだろうと考えてみると、おそらく「木々の根が石垣をずらす」ってところだろう?

 

散髪後はさっぱりした石垣なれど、さみしげな感じだね。


名古屋だがや、スガキヤだがや!

なんたって名古屋めしの筆頭は「スガキヤラーメン」何でだなも、名古屋駅近にスガキヤ店舗がありゃーせんのは。

 

祝!スガキヤ70年。我は祝!65歳なり。


名古屋城崩壊!

2016/11/18 名古屋城に写真のような案内板が設置された。現在の名古屋城は1959年(昭和34年)に再建され劣化・老朽化され耐震性能が不足し、震度6強程度の地震で倒壊又は崩壊する危険性が高いとある。

 

なんですな、そうなれば即刻に名古屋城天守閣だけは入場閉鎖すべきではないか。人命優先にすべきである。

 

「緊急地震速報発表時や地震発生時には警備員やスタッフの指示に従って避難して下さい」とも書かれているが、運よく地震時に崩壊せずとも、避難時のパニックにより負傷者や、死傷者も出る惨事が予測できる。あの天守閣という箱空間から避難する観覧者の動きが脳裏に映る。

 

大柄の河村市長も小技な手を講じたのであろうか。なかなか折り合い、結論の出ない名古屋市議会ですな。決めましょうよ「耐震工事か木造再建か」。先生方

 

ところで現在の名古屋城57歳、小生65歳。まんだまんだ萬田久子58歳、みんな多少のほころびあれど元気で美しい。だましだましで100歳まで。

危うし!名古屋城の石垣。

 

時は平成二十八年十一月五日の午後三時十分ごろの事なり。名古屋城の東側のお堀の石垣で不思議な色模様が目に入った。「お堀から赤土?が漏れた跡かな」と思う。とすると、これは危機ではないかと...。

 

翌日の十一月六日「エッ!昨日の赤土が消えている。昨日より降雨はないのにどうして」誰かが洗い流したのかと思いつつミステリー状態。


 

11月11日午後4時前、またまた出現! 先週の地点から北に2メートル。我しばしそれを傍観す。あーそうか、このミステリーは集結!


名古屋城お堀のコイはスゴイ‼ ビュウチフル、ワンダフル。

だけど残念なり。お水がどうも濁っていますな、平成の清正が綺麗にして存ぜようか。

鯉さんのひれやウロコが傷んでいるのが多いのは、もしかしてあの「アリゲーターガー」の仕業か? 早く退治せねばならるのー。


滅多にお目に係れないホワイトヘッド鯉‼

   兎に角デカイ、コイつ‼


金シャチ横丁が具体化、2018年春開業!

なんだー、スケール小さ過ぎせんか。結構広い敷地の割に店がすけない(少ない)?

金シャチ横丁の概要はこのようである。

 

▣正門側「義直ゾーン」8,400㎡ 名古屋めしの老舗5店舗・物販1店舗

▣東門側「宗春ゾーン」3,400㎡ 若手経営者の運営する飲食店5店舗 合計11店舗

 

金シャチ横丁はわずか11店舗であるが、あの伊勢内宮前の「おかげ横丁」は

 物販店・31店舗、飲食店・10店舗、その他5店舗の合計46店舗である。

 面積約8,900㎡(金シャチ横丁11,800㎡)、年間来訪者は655万人。

 

横丁?名古屋めしの飲食店街かとの印象なり。

名古屋めし?愛知めしゾーンないの。

正門・義直ゾーンと東門ゾーンは相当離れでますね~(ワンゾーンが理想でしょうが、なにかと事情があるんでしょうね)

 


地下鉄 市役所駅から出るとスグ(おそらく)そこは、名古屋城東門側の金シャチ横丁「宗春ゾーン」ということだろう。駐車場をつぶして、テーマは「新風・変化」の現代的なデザインの木造建築の建物が建ち、ナウい飲食店が5軒が並ぶ。

(「ナウい」なんて言葉は、今風の、という意味なんだけど、今時の人には、分かるかなー、ワカンネーだろね)

 

ところで話が寄り道するんだけれど、

名古屋城の市営有料駐車場がガラ隙で、路駐は満車なんです。料金が少々お高いかもしれない。30分毎に180円もする(始末家の庶民感覚として)

お城から一番近いコインパーキング(名鉄協商・柳原1丁目)は1時間で200円、8時から18時の10時間止めても800円。

 


 

  ☝駐車場料金  路駐は満車御礼➹

  

       有料駐車場はガラ空き☞

 

 

相当、脱線しました。本題に戻そう。

 

金シャチ横丁・正門側の義直ゾーンはココ

(下の写真左)

 

その横の敷地には国の機関が二棟あり(下の写真右)、名古屋発展、地方創生の為に、ここが移転してくれれば、ほぼ理想的な金シャチ横丁となるのだが?

 

この二棟は相当老朽化しているようです。


愛知県体育館の敷地はナ、なんと約37,000㎡もあるんですな。「金シャチ横丁」どころか「愛知なんでもあるがや横丁」(なんだて、この名前?エエ名前思い浮かばんもんで、とりあえずだで)

 

こんで、横丁と名古屋城合わせて、年間入場者は800万人は固い!

 

愛知県体育館は1964年(昭和39年・東京五輪開催年)竣工。52年を経年している。どうなんです、長久手の愛・地球博記念公園にど~んと移転新築しては。大村さん。

 

なんか、二つの村は、うまく噛みあいませんな。河村、大村の両氏。

 

わが頭は、金シャチ横丁から、河村たかし・佐藤夕子・橋元徹・松井一郎に移る。

 

河村名古屋市長の任期は2017年3月でしょうか。恐らく、次期は出馬はせずに、佐藤夕子愛知県議にバトンタッチするであろう。思惑通り佐藤氏が当選すれば、2019年の愛知県知事選に出馬と相成るであろう。このツボにはまれば、河村・佐藤コンビで県と市がうまく噛みあうであろう。しかし、両氏が県議・市議がとうまくやっていければの話だが。

 

大村知事は3期目出馬するか?すれば、激戦!

 

名古屋城の復元なんて!とんでもにゃーことだがね。

なんで~?・・まんだ活きてる今の名古屋城を取り壊すなんて・・考えられにゃーこと

なんでにゃーことなれば:1609年家康さんが、ではなく国民の金と動力で築城された名古屋城。1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、1959年(昭和34年)に世間の寄付で再建された。このパワーの基ある、今も活き活きしている、生きているお城を取り壊す?生きています。元祖の名古屋城は焼失い、つまり失いましたが、今ある二代目は今、立派に生きています。御年、まんだ57才でしょうか。壊すのですしょうか?

 

すでに今の名古屋城は歴史を刻んでいますし、刻み続けていているのです。経済効果一辺倒、とんでもござんせん。

 

今生きる、そして昭和26年生まれ、ちんちん電車人間には理解しがたいこのです。私にとってのの名古屋城は今ある名古屋城が名古屋城なのです。名古屋市役所、愛知県庁の建物だってそうなのです。

 

2016年2月27日中日新聞朝刊を見て愕然。どうも名古屋城復元に向かいそうな記事。気持ちは、とれえーことしゃーすなって感じだぎゃー。

 

結論は今あるお城をがシンボルであり、愛してる。今生きている小生のお城は今の城であり家康さんの時代の城ではなく、昭和戦後の平和な時代のなごやかな名古屋城である。

 

金がかかるから反対?そうした次元ではない。

 

東京オリンピックまでに?論外であり、復元とはいえ現代人は現代人、当時築城に関わった人々の魂は復元できない、それを復元なんて....

 

名古屋城 遠くから眺めて 名古屋城 ・字余り

 

熊本で震度7 2016年4月14日午後九時二十六分

この時のマグニチュード6.5  その2日後の16日午前1時25分にマグニチュード7.3<震度6強>が襲う。この日は信じがたきことに3回の強震が続いた。

熊本はもとより各地で甚大な被害が起きた。熊本城は瓦はほとんど落ち、しゃちほこも落下。次第に基礎となる石垣も崩壊が進んで行った。


加藤清正公ゆかりの名城である熊本城。外見や石垣はともかく、建物自体は倒壊してはいない。卓越した先人の知恵と技術である。

しかし建築物はもとより、基礎、石垣にも老朽は必然でありましょう。

 

名古屋城天守閣の木造復元は「拙速」だで!いずれその時がくればやればよし。

今がその時か? 耐震補強で寿命は40年ほど伸びるそうだ。それでよいのではないか。

現在の名古屋城は1959年生まれ、2016年の現在、御年57才、これから耐震すれば40年ほど寿命が延び百寿の百歳。その時がその時来たりである。

 

ましてや、2020年東京五輪にあわせ、間に合わせる。まさしく拙速でありませんか。とてもいいもの出来るとは思いません。東北復興、東京五輪、リニア、公共事業etc. 建設業は大忙しで人材不足。

 

2016/5/5(子供の日)本日朝刊より「木造復元構想に対する市民アンケートを明日発  

           送」とあるが、こんなんてアノ東京五輪のシンボル、民社党の改

           名の件でのアンケートと同じで、ただの参考に過ぎないようだ。

           あかんて! 河村はん。

 

いくら市民派、庶民目線の河村市長でも、事と次第では目線が斜視になるようです。

どうも、市(市長)は今回のアンケートでの結果がどうであろうと<復元ありき>のようだ。紙面では、市側は「民意の一つとして意見を伺うということ」と言っているようだが訳分かりません。白無垢の18才にはもっと理解に苦しむことでしょう。

 

政治家用語でしょうか「ご意見、ご要望は前向きに検討して・・・」「真摯に受け止め」「善処します」などなどの類でしょうか。

 

アンケートは、無作為に抽出した18才以上の市民2万人に発送とあるが、私には当たりませんでしょうからここで答えます。(プレミアム付き商品券もハズレでしたから)

 

◇「20年7月までに復元」・・・反対、急いでええもんでけせん。現代、純和風大工さんはどれだけいるのでしょう。全国から集める? たしか一般人の家の建築で、和室の主要部分は年季の入った専門的大工さんが入ります。プラモデルであっては復元とは言えません。総事業費五百五億円以内で復元する為、もし、国内産木材が高騰や不足の場合は外材も使うという声が耳に入ったが、とんでもないこと、百年もの、忠実復元であります。ごまかし、間に合わせであってはなりませぬ。日本で外国産食材をつかって、日本料理・和食とは純粋、本物ではありません。それは準和風ではないでしょうか。

 

◇「20年7月にとらわれない木造復元」その時が来たときの為に計画、準備を整えておけばよい。

 

◇「現天守閣の耐震改修」これです!

 

◇「その他」?

 

誰がおっしゃつたか復元後の入場料。現行料金の500円を名古屋市民は450円にする。?

そんなこと市民は望まないのでは。市民以外は1000円に値上げ。今でも価値のあるもの、それ以上の価値があるもんに作り替えるのですから当然でしょう。しかし二重料金には理解に苦しむところがあります。